懐かしの河田町は今…。

なかけん。です。


今、このブログの下に「ブランズ市谷仲之町」の入居募集広告が出ていると思いますが、「ブランズ市谷仲之町」の場所って、(何度も紹介していますが)ちょうど「河田町コンフォガーデン(フジテレビ跡地)」の近くなんですね。
場所を確認してみるとわかるのですが、「河田町コンフォガーデン」向かいにフジテレビ新宿支局の跡地がありますが、そこではなくてその奥が「ブランズ市谷仲之町」になるんでしょうね。フジテレビ新宿支局の跡地は、既に紹介していますが、別のマンションが建っています。(名前はわかりませんが…)
「ブランズ市谷仲之町」から見て左に曲がって突き当たりにあるのが、「河田町コンフォガーデン」なんですね。
つまり、「河田町コンフォガーデン」までが新宿区河田町、当時のフジテレビ新宿支局からが新宿区市谷仲之町、あけぼのばし商店街からが住吉町という位置関係になります。


フジテレビがお台場にお引っ越しして、新宿支局が取り壊されてからの河田町周辺は、東京女子医科大学東京女子医科大学病院及び研究機関以外は完全に住宅街になってしまって、今やここにフジテレビがあった痕跡は残っていません…。
今は、フジテレビの隣にあったことから名付けられたであろう「カフェ&レストランふじ」(現在も営業中)の店名や、念仏坂前にある「右 曙橋駅 左 フジテレビ(旧ロゴ)」の石碑、当時社員やアナウンサーが通っていたお店などから面影が偲ぶことができるでしょう。
しかし、河田町時代のフジテレビを今も覚えている方は大変多いと思います。
河田町時代のフジテレビは下町にあるテレビ局だったという感じを窺い知れることができ、フジテレビ通り(現:あけぼのばし通り)周辺でアナウンサーや芸能人が歩きながらレポートしている映像や、過去のFNSの日、特に河田町時代最後のFNSの日である1996年度の「FNSの日 十周年記念 1億2500万人の超夢リンピック」の映像を見ると思わず泣きそうになってくるのですが、本当に地元に愛されていたテレビ局だったんだなと感じさせられます。
河田町にお住まいの方は、今のフジテレビに対してどのような印象を抱いているのでしょうかねぇ。


ここまで取り上げているのは、他の在京キー局の旧本社の建物や跡地はその局関係の施設になっていたり(日本テレビの麹町分室・TBSテレビの赤坂サカス・テレビ朝日のアーク放送センター・テレビ東京東京タワースタジオ)、オフィスビルになっていたり(NHKの日比谷シティ・東京MXテレビテレコムセンター)していますが、フジテレビのみ唯一マンションになっているからです。

きっかけは、「フジテレビ・河田町時代を懐かしむ」というかつてあった個人サイトでした。
サイトを見たところ、貴重な旧本社内部の様子を見て思わず「懐かしい!」と感動し、旧本社が取り壊されている画像の下の文章や、フジテレビの公式サイトでの牧原アナウンサーのレポートに「現在の旧本社跡地はマンションになっている」「41階の住宅ビルが建っている」という情報が書かれてあったので、ちょうどフジテレビがお台場に引っ越してから10周年となる2007年夏のお台場冒険王「ありがとう!お台場10周年 ザ・冒険王」の帰りに、初めて河田町に行きました。
それから2008年、2009年と寄って、昨年寄った時にはそれまであったフジテレビ残存最後の砦であった新宿支局が取り壊されていてショックを受け、今年行ったらマンションが建っていたという感じです。
新宿支局は、近くにあるエビハラ靴店が火事になった時にフジテレビのニュースで取り上げられたのを見たことがあるのですが、映像で見たのはそれが最後でした。

また自分は1990年生まれなので、記憶があればギリギリ河田町時代を知っている最終世代になるでしょうか。フジテレビがお台場に移転した1997年3月10日当時は6歳、新社屋に行ったのが同年夏イベント「お台場Do Donpa!」のことだったので7歳になりますね。
一応「ポンキッキーズ」の「はたらくくるま3」の映像や、当時のFNSの日などで、テレビ上でリアルタイムで当時のフジテレビの社内や社屋は見たことがありましたが、現在のお台場社屋とは違って当時は一般はイベント時以外は立ち入り禁止であったために、取り壊されるまで一度もこの目で見られなかったのが悔やまれます。