日本マクドナルド。

なかけん。です。



第2回は、ファーストフード店&外食チェーン店でお世話になっている年数断トツな、日本マクドナルド(以下:マクドナルド)を紹介します。
日本マクドナルドは、貿易会社の藤田商店社長の藤田田氏がアメリカのマクドナルドに着目してフランチャイズ権を獲得した上で設立された会社で、1971年7月20日銀座三越内に第1号店を出店しました。
それ以来、着実に店舗数を伸ばし、現在では約3800店舗を展開しています。

ではでは、自分の「お子さまセット」時代から現在までのマクドナルドに関する思い出を8項目に分けて、簡単に振り返ってみます。


1.お子さまセット〜ハッピーセット時代(1994年〜2002年)
一番最初に行ったお店は、成城学園前駅店でした。
明確な月日は覚えていませんが、当時は4歳の頃であるのは確かで、確か家族みんなで行った記憶があります。当時は「お子さまセット」といって、その10年程前の1985年頃から玩具付きのセットが登場していました。
当時の玩具は覚えていませんが、現在と同じく当時もディズニー映画の玩具が不動の地位を獲得していましたね。(笑)
翌年の1995年度から現在の「ハッピーセット」に改称されました。当時のCMでは「ハッピーセット♪」というサウンドロゴがありましたが、現在は「ハッピーセット!!」と子供達が言っているに変更されていますね。

2.国立成育医療センター前に出店(2002年〜)
自宅近くに、国立大藏病院と国立小児病院が統合して誕生した国立成育医療センター(現・国立成育医療研究センター)が開院したと同時期に、マクドナルドも向かい側に出店してきました。
その影響により、今まで通っていた成城学園前駅から成育医療センター前店に変更しました。

3.バリューセット/期間限定メニュー(2003年〜現在)

中学生に上がってから、ハッピーセットを卒業し、自動的にレギュラーメニューのバリューセットに変更しました。
そこから期間限定メニューも食すようになって、今まで様々な期間限定メニューを食してきましたし、定番メニューも通常サイズとダブルサイズで何度食したことか…。もう数えきれていないです。
期間限定メニューからレギュラーメニューに昇格したのもいくつかあり、その中で「えびフィレオ」は「てりやきマックバーガー」の次に好きになったので、単純に嬉しかったですね。
期間限定メニューで心に残っている思い出としては、メガシリーズ(「メガマック」「メガてりやき」「メガトマト」「メガたまご」「メガマフィン」)を全種類制覇したことですかね。全シリーズ通算で30個も食していたのには、カウントしていて驚きました。あんな巨大バーガーを軽々と食せるようになって、自分も成長したなと思いましたね。

4.アメリカ短期留学中に食した本場のマクドナルド(2007年4月)
アメリカ出発当日直前のお昼に、成田空港のマクドナルドで食しましたが、それから1ヶ月…発祥の国の本場アメリカでもマクドナルドを食すことになりました。
本場のマクドナルドでは、「セット」ではなく「ミール」と呼んでいたり(お子さまセットも「ハッピーセット」ではなく「ハッピーミール」)、ドリンクが店舗によって注文ではなくドリンクバーだったり冷蔵庫から取る形式だったり、アメリカでの発音では「マクドナルド」ではなく「マクダーナルズ」(McDonald's)だったりと、日本と違っていた部分が多く、そのギャップに驚きました。
また、当時日本上陸前(後に、実際は再上陸で1978年当時日本にもクォーターパウンダーがあった。)だった「クォーターパウンダーチーズ」(2008年11月日本再上陸)を注文して食したことが嬉しかったです。

5.30日間昼だけマクドナルド生活(2008年7月〜8月)
アメリカ短期留学から1年、映画「スーパーサイズ・ミー」に影響されて自分も思い切って、30日間マクドナルド生活をやってしまいました。
ただ、私は実家暮らしで家の食事もあるので「昼だけ」(実質は昼食も高校で摂っているため帰り道に寄って食す形)ということに決めて、必ず1ヶ月間毎日続けること、そして頼む時は全てセットの全て店内、ドリンクに水はなしという独自のルールを作って、実際に挑戦してみました。
利用した店舗は、高校の帰り道に寄っているということで新宿スバルビルの店舗と、自宅近くの成育医療センター前店の2店舗でした。
毎日違うメニューを頼めないというか、そのぐらいの数がメニューにはないので、同じメニュー(殆どは期間限定メニュー)を連日頼んだり、ドリンクを連日コカ・コーラにしたおかげでコーラ中毒になったりもしました。
結果として、元々太らない体質なので体重にはさほど影響がなかったものの、自宅の食事と兼用することがキツく、自宅の食事を残してしまうことも多々ありました。
個人的には太りたいという気持ちもあって実行したことなのに、結局元に戻ってしまったため残念です…。


6.渋谷先行発売イベント

クォーターパウンダー上陸記念とチキンタツタ復活記念の2度、渋谷のマクドナルド各店にて先行発売されたイベントに参加したことがあり、両方ともそこで記念Tシャツをゲットしました。
デザインはランダムで配られたのですが、クォーターパウンダーは「一億総BIG MOUTH」と書かれているデザインのものを、チキンタツタチキンタツタのイラストが描かれたデザインのものをゲットして、どちらとも気に入っていた柄で貰えたらいいなと思っていたので、大変嬉しかったです。
現在でも両者とも、外出する際の普段着として愛用しています。

7.クルー時代(2011年3月21日〜5月31日)
2011年3月21日、初めてのアルバイトから1年…念願のクルーになってしまいました。
個人的には長くても短くてもいいので、とにかくマクドナルドのクルーとはどのような仕事なのかということを体験したいという思いがありました。
しかし、レジではなく調理に配属されてしまい、イメージとは違うギャップの連続に非常に苦労しました。
自分はいきなりすぐには覚えられないため、全てのメニューの作り方を覚えるまでかなり時間がかかりました。作っている最中に失敗してしまうことも何度もありました。
また、事前に事務所内でゲーム上でポテトの作り方を学習しましたが、実際にやってみると上手くバケットに配分できなかったり、ケースに入れるときに上手く分量が取れなかったこともありました。
一番苦労したのは、アッセンブラーといって、バーガー(マクドナルド内では「サンドイッチ」と呼んでいる)の中身を高速で作っていくことでしょうか。全てのメニューの作り方を覚えて、制限時間内に素早く作っていかねばならないため、ポテト同様何度か失敗してしまうことも最初こそあったものの、やはり独特すぎてついていけない部分が出てきてしまいました。
その後、シンク(食器洗い)などの作業もやらされましたが、既にいくつものゼミに所属しているために大学との両立が難しく1週間に何日も入れなくなったことでマネージャーと揉めて、更に日曜学校の教師奉仕になってしまったことで日曜日の教会とも両立できなくなったこと、このままだと体力に限界を感じてしまいそうになったことなどの理由から、僅か2ヶ月後の5月末で退職しました。

8.日本マクドナルド40周年(2011年7月20日〜現在)
その後、クルー時代のトラウマから暫くマクドナルドに通わなかった時期こそあったものの、退職してから2ヶ月後に再開しました。
そして、2011年7月20日日本マクドナルドは銀座に1号店を出店してから40周年となりました。CMでも、「Beyond 40 MAKE WOW!」というキャッチコピーがCM開始前に用いられていますね。
40周年記念ということで、再び「LLセットを注文するとコークグラスが付いてくる」というキャンペーンがあって、2期に分けて6種類のカラーが用意されていましたが、あれも全種類コンプリートしました。
ただ、カルビバーガーならまだしも、「プルコギバーガー」は絶対に許さない!
いや、食べますけどね……。



ぶっちゃけ、マクドナルドよりも美味しいハンバーガーチェーン店なんていくらでもあります。
美味しさで言えば、マクドナルド以外のハンバーガーチェーン店の方が上ですよ。

個人的には、バーガーキングロッテリアを推していますが、現在はバーガーキングの方が好きですね。ミートパティは網焼きなので、マックと違っていかにも焼いてる感があって、しかもジューシーで美味しいんですよ。
ただ、そんなに店舗数がなく繁華街にしかない(モスバーガーはマックと同じく自宅近くにある)というのもあるので、仕方なく食べているということもあります。
何だかんだ言ってマクドナルドに通ってしまうんです。通ってしまっているんです。
だから、「この店に決めた!」入りしてしまうんです。
もし、大学近くにバーガーキングが出店してくるなら、早いうちにバーガーキングを選んでいますけどね。

30日間マクドナルド生活ですが、実家暮らしなので結果として昼だけになってしまったのが無念だったので、日本マクドナルド40周年となる今年中に朝・昼・晩3食全てマクドナルドにして30日間やってみたいですね。
日本とアメリカじゃメニューが違うので、どうなるかはわかりません。
実行している最中に例え、医者から警告をされたとしても、自分は止めないつもりでいます。
ただ、自分は食べても太らない体質で、前にやった時も直後は太っていましたがすぐに元の体重に戻ったので、体重面は大丈夫だと思います。ただ、明らかに寿命は減り続けていると思いますし、長生きはできないでしょうね。

マクドナルドも、日本のファーストフード第1号であるドムドムバーガーや明治サンテ・オレやバーガーキングなど撤退や縮小するハンバーガー店が多い中で、最も影響力のあるハンバーガーチェーンとして現在まで駆け抜けて、外食産業ではトップの地位に躍り出ているというのは、凄いことなのではないかと思います。
今までそこまで注目がなかったであろう社長も、2004年に八木康行氏(私の母校である成城学園の出身者)から原田泳幸氏に交代してから、ファーストリテイリング(ユニクロ)の柳井正社長と同様、アップルの元CEOである故・スティーブ・ジョブズ氏のように、日本で影響力のある社長となりましたし、現在自分が購読している日経ビジネスでも頻繁に取り上げられていますね。


日本マクドナルドは、更に成長していくことでしょう。
そして、これからまた新機軸と新商品を打ち出していくことでしょう。
1人の消費者として、1人の元クルーとして、これからも行く末を見守りながら食していきたいですね。